もういくつ寝ると新しい世の中?


冬型の気圧配置が続いて、相変わらずの冷たい風と冬空。雪の降る金沢時代を思えば、朝のウォーキングができるだけでも、まだましだ。冬枯れの野にも、畑の片隅でボケの花、山茶花水仙などひっそりと咲いている。


クマさんの日記以外に毎日の行動記録の意味で日記をつけている。3年連用日記を使っている。今使っているのは2016年から2018年までのものだ。きのうからのニュースによれば、平成の世は来年で終わりだ。今使っている日記で平成の締めくくりができるわけだから、ほっとした。



思い起こせば、28年前の1月7日。車のラジオで昭和天皇の亡くなられた報を聞いた。翌日からただちにに元号が平成になった。小渕官房長官が半紙に書かれた「平成」を掲げながら記者発表している姿がきのうのことのように思い出される。昭和の終わりの記憶は鮮明に脳裏にある。


封筒や領収書の日付欄の昭和に斜線を入れ平成と書きなおすことが半年以上は続いた記憶だ。平成の元号を決める時に「修文」「正化」なども候補にあがっていたが、「しゅうぶん」「せいか」だと各種書類で元号の頭をアルファベット表記すると昭和に続きSが来るので平成に決まった。などという話が酒席でまことしやかに語られたことも思い出す。



昭和から平成に変わったときの混乱。そうした事態は避けたいというのが、陛下が退位を望まれる理由の一つでもあろう。たしかに前もって元号を発表し、整然と代替わりを果たせるなら国民生活への影響は最小限に抑えられるだろう。                                                  


2600年以上の歴史の中で事前に歴史の節目が定められ、それが一日一日カウントダウンで近づいてくる。そんな不思議な体験をすることになるのだ。神代の昔と違って、世の中のしくみが複雑化したのだから、そうでもしなければ国民生活が回って行かない。陛下ご自身のこともあろうが、国民生活を配慮された上での生前退位とみよう。「もういくつ寝ると新しい世の中か?」