牡丹パワーでボタン戦争止めろ


穏やかな日が続いた週末が明け、4月も最終週に入った。桜の花も散ってしまうと、にわかに「春深し」の感じがしてくる。日差しにも強さが増し、大気のゆらぎに夏の近いことを予感させられる。その兆しがツツジであり、藤だろう。わが家の庭では牡丹だ。


日記で調べると、ここ5年早い年で4月16日、遅い年で28日に開花している。今年は、きのう23日だった。数年前までは雨が降り出すと傘をさしてもらって大事に育ててもらっていたが、近頃はまったく手をかけてもらっていないようで、痩せて勢いもないようだ。


牡丹は「百花の王」と別名があるほどの貫禄だが、何だか大味な感じだ。「大きいことは、いいことだ」の時代は過去のことだ。ても、お隣さんの庭に咲く牡丹は大きい上に気品あふれる風格がある。花も育てる人の性格を反映させて育ってくるのではないだろうか?



「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」と200年もの昔から美しい女性の容姿や立ち居振る舞いを花にたとえて形容されてきた言葉だ。この言葉をもじって「立てばパチンコ 座れば麻雀 歩く姿は馬券買い」などといったわが青春の一ページを形容する言葉を思い出す。しかし、時代に合わなくなり今では「立てばカラオケ 座ればパソコン 歩く姿はウォーキング」だ。(これも、時代遅れになりつつある。スマホの出現だ)


和服を着た女性は男の憧れ。70を過ぎても着物の着付け教室へ行きたい男がいる。ブログに激白していた。下心があるかどうかは知らないが。芍薬はフランスではしなやかで爽やかな香りのするワインを、「芍薬のような香り」と言うそうだ。牡丹は中国では花の王、華やかさの象徴だ。やはり、いいものはいつまでもいいものだ。「立てば芍薬・・・」の美人形容表現は永久不滅かもしれない。



平和ボケ気味のわれわれには、よそ事のように思っていた「半島有事」。この言葉が俄かに現実味を帯びてきた。ミサイルによる武力攻撃発生時の身の守り方をウェブサイトで紹介している政府の「国民保護ポータルサイト」へのアクセス数が急増している。3月45万件、4月は既に250万件を超したそうだ。


北朝鮮情勢の緊迫化で国民の関心の高まりを反映した形だと、土曜の中日朝刊は伝えていた。60数年前の朝鮮戦争の時とは違っていまや、ボタンひとつで東京もソウルもピョンヤンも火の海と化すボタン戦争の時代なのだ。



ここは、ひとつ「唐獅子牡丹」の習近平が習一家の一の子分、金一家に対してひと肌脱いでボタン戦争をとめることだと思うがなぁ。唐獅子は百獣の王、牡丹は百花の王。習親分はそれほど大物なんだ。金一家の金親分がトランプ賭博ですってんてんにされたら、金一家の若いモンは習一家で面倒みなければならない。血の同盟だから。習親分しっかり、たのんまっせ。


牡丹のパワーでなんとかしてボタン戦争をとめてほしいものだ。