「贈られ物」「贈り物」


朝のラジオの「お天気おねえさん」が「きょうは日本全国晴れでなにもいうことありません」というほどのカラッとした晴天だ。誕生日の花は「ヒナゲシ」とラジオ深夜便。説明を聞いて行くうちに「ポピー」のことだとわかった。これだったら、4月の終わり頃から、あちこちの雑草地の中で風雨に耐えながら健気に咲いている。


ケシの一種で「雛(ひな)」のケシ。朝の連ドラ「ひよっこ」を思い出させる「ひよっこのケシ」つまり、「かわいいケシ」なのだ。ケシの一種だが、ヒナゲシ(ポピー)にはアヘンの成分はないそうだ。左下写真のアツミケシはケシの一種で栽培禁止の種類。去年あたりまではヒナゲシより多く雑草地で見かけた。完全に駆除されて、今年はまったく見かけない。




去年の秋の葬儀で香典返しのカタログギフトが10月の終わり頃送ってきた。カタログは170ページもある立派なものだった。これといって欲しいものもなかったので、放っておいて気がついたら申込み期限が4月30日だった。結局は葬儀社やギフトの会社を儲けさせただけで、施主の厚意に対して失礼なことをしてしまったと、反省しきりだ。


申込み期限を忘れてしまった自分が一番悪いことは百も承知。施主が身内だから、あえて苦言を呈すと、謝意を表すのにカタログを送りつけ、この中から勝手に選んでくれとは何事か。考えが古いかな?気に入ってもらえるかどうかわからないようなものを贈るより、選択する幅があるカタログギフトの方が合理的だ。そんな意見もあるだろう。




個人から個人への贈り物と引き出物的なものでは「贈り物」としての意味合いに差があるとはいえ、実は、自分も案外こういうことを他人にしているのでは・・・。気を遣ったつもりで商品券にして、果たして誠意が通じたものかと心配したり・・・・。人に物を贈ることは本当に難しい。



先日配信されたメルマガに高野山の管長が体験された話が載っていた。管長が仲間とネパール訪れた時の話。木陰で弁当を食べていると貧しい子供達が寄ってきて、食べ残しをもらっていた。ネパール人のガイドが飛んできて子供達から弁当を取り上げてしまった。



そして、そのガイドはみんなの残飯を布の上に広げて、子供達に平等に渡るように分配した。日本人の食べ残しをねだってもらって食べる。それがどれほど、ネパールの子供達にとって心を痛めることか。同じものでも、同じネパール人の手から分け与えられれば、彼らのプライドを傷つけないですむ。


相手が一番欲しがっているものを、相手の気持ちになって贈るのが布施というもの。自分の要らないものを、他に与えて満足する。それは相手のプライドを傷つけることにもなる。

さすが、仏に仕える管長、うまいことおっしゃると感心した.