ハスの花・レンコン・極楽浄土


梅雨明けを思わせるような日が続いた週末だったが、昨夜半にはまとまった雨が降ったようだ。子どもたちも、もう夏休みが近い。いいかげんに梅雨明けになったらどうか。子どもの頃の「梅雨」のイメージは、しとしと雨が幾日も続いて、じめじめした感じだったような気がする。


近頃の「梅雨」は局地的に大雨の降る所があると思えば、降らないところでは「梅雨」の季節というのに貯水池が干上がっているような所もある。といったように降り方に極端な差があるようだ。昔、女性的梅雨に対して今、男性的。そんな気がする。


おととい7月15日の誕生日の花はネムノキだった。この木、高さが5mから10mもあり、おまけに花は日光が直接当たるところに咲くので近くで見ることが難しい。緑化センターでしか見たことがない。夏の夕方に変わった形の紅の花が咲く。化粧用の刷毛(はけ)に似ている。マメ科の木だ。


オジギソウの葉は触ると閉じるが、ネムノキの葉は触っただけでは閉じない。夜になるとゆっくりと自分で閉じる。それがまるで眠るようなので「眠りの木」、それが転化してネムノキになったといわれる。



連休中でレギュラーメンバーでのウォーキングはお休み。カミさんとふたりでいつものコース外のあざぶの丘公園へハスを見に行った。ハスの咲く季節になったのだ。ウォーキングコース沿いの農家の蓮池はアパートに変わってしまったからだ。公園の池も去年までは三輪以上咲いていたのに、今年はたった一輪だけだ。


たった一輪だと、その有難味がひとしおだ。仏教でいう西方浄土の極楽である神聖な蓮の池を彷彿させる。このハスからはレンコンなど想像することさえ憚れる。カミさんいわく「こんなところでレンコン育つかねぇ」クマさん「そんなこと考えんでもええ。ハスの花が咲いておれば、それで神聖な池の役目を果たしているのだ」。美しいハスの花、レンコン、極楽浄土、これらの三つがどうも1本に結びつかないのだ。



この写真は三好ヶ丘駅の北西数百mの場所にかつてあった蓮田、レンコン畑だ。この風景からは西方浄土の極楽である神聖な蓮の池なんぞ想像し難い。やはり、レンコン畑がふさわしい。「やはり野におけレンゲ草」というように、レンゲの花も野に咲いているから見栄えがする。摘んできて家の花瓶に挿しても栄えないのだ。


ハスの花も静かな池に凛として咲いていてこそ神聖な雰囲気を醸し出すのにふさわしい。けさの朝日新聞天声人語が語っていた。花で名高い地のレンコンは食感がいまひとつ。レンコンの産地で花の群舞を見る機会も多くない。天は二物を与えなかったのは人だけではなかったようだ。と。


考えてみれば、食用の桃を品種改良して花を鑑賞することが目的で実は食べられないという「花桃」を作り出して、食用と観賞用を「分業制」にして両者が成り立っているケースもある。「先発完投型」のハスも曲がり角に来ているかもしれない。