語り継ぐ戦争 占守島


東京では今月に入って雨降りが16日間続いているそうだ。こちらも、似たようなもので、きょうも厚い雲に覆われ時折小雨だ。とはいえ、田園地帯では、台風の影響も受けず、稲が青々としげっている。青田にはかんかん照りの太陽が似合いだが、ことしはそんな風景がめったにお目にかかれない。早生の田んぼだけがもう黄色くなって、モザイク模様の田園風景だ。


お盆ウィークは、戦争の懺悔ウィークでもある。中日新聞も今週は「語り継ぐ」というタイトルで戦争体験談を連載している。きょう16日は千島列島の占守島(シュムシュ島)で終戦を迎えた元通信兵の戦争への憤りと失望をにじませた思いを伝えていた。



この方は、戦時中通信兵だから、日本の劣勢を報じる敵国の放送を傍受していたが、「連戦連勝を伝える大本営発表を信じ、最後に裏切られた。そして、この夏、自衛隊の日報、加計問題をめぐる国の釈明が大本営発表二重写しとなり、国はうそをつくあの時も今もと・・・。不都合な事実を隠し続けたかつての日本に重ね合わせるのだった。


この記事は「国のうそ」を浮き彫りにしたいがために記者が都合よく編集したものではないかと思う。別に、ウソをかいているとか、そういったものではなく、もっと大事なことに焦点をあてるべきでないか。ポイントがずれているのではないかということだ。



浅田次郎の「終わらざる夏」で書かれている占守島といえば、「戦争が終わったのに攻めてきた戦いの島」なのだ。国境の最前線の島で終戦時にも約8千人の精鋭部隊がいた。昨夜のNHKスペシャル「インパール作戦」でやっていた南方と違い、北の島では武器も食料も充分整っていた。8月15日に終戦の報があったにもかかわらず18日にソ連軍が武力上陸してきたのだ。


相互不可侵を約していたはずのソ連軍の「だまし討ち」なのだ。死傷者日本軍800に対しソ連軍2300。快勝で幕を閉じたのが23日。日本軍は勝ちながらソ連に抑留されてしまう。「だまし討ち」に遭い、「勝って抑留」。司令官は戦後「占守島の戦いが今の日本の秩序や形を守った」指摘している。ドイツや朝鮮半島のように分断国家にならなかったということとクマは解釈する。



終戦になった後の「だまし討ち」「勝ったのに抑留」、島での戦いは迎え撃つ側としては正当なものであるが、戦後司令官は美化している。中日新聞に登場した通信兵氏「国のうそ」もさることながら、こんな理不尽なことの方が、よほど語り継ぎたいことではないだろうか。


浅田氏は推論を交え指摘している。戦争が終わっているのに攻め込まれ、戦わなくてはならなかった日本軍は痛ましいし気の毒だ。戦後処理を有利に進めたいというソ連の政治的な意図が働いていたとしたら、島に上陸させられたソ連兵は人柱だ。これほどかわいそうな兵隊、哀れな軍人はいないだろう。


兵隊さんは敵でも味方でも可哀そうで哀れだ。昨夜の「インパール作戦」日本軍の将校の会議の内容を記録した人の証言「レッドヒル」を攻略するのに何人殺せばいいのか。敵のことかと思ったら味方のことだった。兵隊さんは虫けらくらいにしか扱われていない。戦争はいかん。