落ち葉掃除考


きのうに引き続き穏やかに晴れ上がった。三好公園陸上競技場では市のグラウンドゴルフの大会。300人ほどが集まった。大半の人が、早朝に集合した時とお昼ごろに解散した時の服装が違っている。この時季に晴れ上がった日特有の最低と最高の大きな気温差が人々に服装を変えさせている。童話の「北風と太陽」を思い出させたきょうの天気だ。


やがて冬型の気圧配置の天気の日が多くなり公民館の落ち葉掃除が難儀な仕事となってくる。毎年のことだ。地域の有志7人が当番制で公民館の管理のボランティアをやっている。落ち葉に対する感覚が平均年齢80歳に手が届くメンバー7人の人生経験を物語っているようで興味深い。



まず、街育ちと田舎育ちで感覚が違う。前者は積もったり、舞い散る落ち葉にむしろ風情を感じる。後者は一種のごみの感覚だ。人それぞれの性格の違いによるところも多分にあるが、前者あるいは男性はとめどもなく散ってくる落ち葉を掃除したって・・・という感覚だ。後者あるいは女性は親やうるさい姑に躾けられたことが身に沁みついて、葉っぱ一枚たりとも構内に落ちていては・・・という感覚になる。




月に一度のミーティングでは、この落ち葉掃除が議論の的になる。「風情派」は、シャンソンの名曲何か知っているか?「枯葉」だよ。五輪真弓の恋人よの出だし、知っているか?「枯葉散る夕暮は・・・」奥村チヨの終着駅の出だしは「落ち葉の舞い散る 停車場は・・・」となる。


「一枚たりとも」派は、ダメなものはダメ・・・。となる。雪が太平洋側では風情を醸し出し、日本海側では白魔となる。そんな感覚と同じようなことではないだろうか。たかが落ち葉の掃除、されど・・・。まぁ、そんな肩肘張らんと、互いにトシだ。そこそこのところで落ちつけようよ。