南京事件と広辞苑


金曜の冬至、これからが寒さの本番。土曜の天皇誕生日、その祝賀はあと2回しかない。日曜は今年最後の日曜、日中は晴れて夜は雨模様。なんとも侘しさの募る年の瀬の週末だ。一夜明けて,クリスマスの週明けだ。今年最後の週明けだ。最後のムチを入れ、その侘しさをぶっ飛ばそう。



ラジオ深夜便の伝えるきょう12月25日の誕生日の花はクリスマスローズだ。わが家のクリスマスローズは3月の初めに咲くのにどうして? ラジオ深夜便の伝えるところによると、クリスマスの時期に咲く品種もあるらしい。また、バラの仲間だと思っていたが、バラに似ているだけでキンポウゲ科だそうだ。


いつもうつむきかげんに咲いている清楚な感じの花だ。これだけの実力があれば、十分メシが喰って行けるところに、クリスマスローズなんて大変な名前をもらって・・・。まるで、歌のうまさで右に出る者がいない実力ナンバーワンの美空ひばりと同じだ。名実ともに兼ね備えている。



現役時代、南京へは2度行ったことがある。2度とも添乗員から地元ガイドに南京事件に関する話はしないようにと注意をされていた。ところが、地元ガイドは我々の心配をよそに、あの南京事件は、軍部のやったことで皆さんには何も関係ないこと。決して皆さんを恨んでいるわけではない。と話すのだった。職業上の外交辞令とはいえ、あっさりしていた。そんな印象が残っている。


旧日本軍が南京を占領して80年目となる先々週の13日から先週にかけて、新聞各紙で南京事件を取り上げていた。南京事件南京大虐殺などといわれるこの事件、規模、虐殺の存否、犠牲者数などさまざまな論争があって80年経っても事件の真相はいまだ不明で定説がない。



新聞では日・中両国の歴史学者の対論や第2次世界大戦の端緒は日中戦争と見ている欧米側からの南京事件に対する見解を特集しているが、それらは学者に任せるとして、20日産経抄に意外なことを教えられた。


プロの作家や校閲者までが愛用している国民的辞書「広辞苑」、第1版で「日本軍が南京攻略の際行った暴行事件」だった南京事件が、第3版では「大虐殺事件」となる。第4版からは「南京大虐殺」という項目が独立した。「日本軍が中国軍兵および一般市民を・・・」と説明。段階的に中国側の主張に沿ったものになって行く。



日馬富士事件の被害者貴乃岩の診断書の内容がか提出日によって変わっているのは、ケガの症状の日ごとの変化で当然だろう。南京事件という歴史的事実の評価が論議を呼んでいる最中に、その記述内容・表現方法が片方の側に偏ったものに変化して行くのは目に見えない圧力があるに違いない。


無色透明、無菌室であるはずの辞書・事典の世界に色がつくような項目は馴染まないのではないかと思う。強いて、そうした項目を設けるならば両論併記にすべきでないか。



本屋の倅のクマさん、当然その「広辞苑」は持っている。1991年11月15日発行の第4版総ページ数2868。確かに前記の通りの記述だ。こんな重たい本は書棚からの出し入れだけでも疲れる。使ったことはほとんどない。パソコンの方が手っ取り早い。この機会に後述するようなことに気づいた。


第1に「広辞苑」は「語い」のための単なる辞書ではなく、「語い」の辞書+百科事典であるということ。第2に高校時代の物理の教師が突然北朝鮮に渡り、消息を絶った。その意味がわかった。彼の愛読雑誌が「世界」だった。この「世界」も「広辞苑」も発行元は岩波書店