神社の存廃
午前中はおおむね晴れていたが、午後からは重たい感じの曇り空。横浜では雪が舞っている。昼のニュースが伝えていた。寒々とした天気に対する景気づけに、真紅の梅と紺碧の空の画像をトップに飾った。
きょう2月15日の誕生日の花はニオイスミレとけさのラジオ深夜便。毎年3月になると家庭菜園に生えてくるスミレが、この種類か否かわからないが、スミレには違いないのでアップした。
今月6日の中日新聞夕刊にこんな記事があった。加賀百万石の藩祖前田利家が社殿を建てたと云われる金沢の八阪神社が、平たくいえば経営難で神社閉鎖に追い込まれ、ご神体は石川県神社庁に移した。社殿を解体したいが、市の保存地区内にあって許可が出ない。市は補助金を活用して改修を求めている。落としどころがなく宙に浮いているようだ。
ことほどさように、地方を中心に神社が収入確保に悩んでいるという。ここ10年の間に全国で8万ある神社のうち300ヶ所以上が閉鎖されているという。わが地域にある開拓で入植した人たちの心の拠り所であった神社も決して例外でなく、その維持に四苦八苦しているのが現状だ。
リタイヤーして3年間氏子の役員として運営に携わった。政教分離を盾に行政組織の協力が得られなかった。役員会で発言したり、クマさんの日記で何度もカキコしてきた。「われらの神社は布教活動を目的とするのではなく、地域活動の一環としての活動をしている」と。
近年は行政組織の協力が得られ曲りなりにも維持されている。とはいうものの、砂上の楼閣でいつ崩れるか分からない。筋論から云ったら本末転倒だからだ。神社ができた経緯からいえば、入植者の二代目が中心になって運営し、後発入居者たちがお手伝いするのが筋だ。
現況は後発の入居者が主導権を握って、広く協力を得るための方便として神社を地域活動の拠点としている。こうした運営方法も世代交代で、いつまでも地域住民から支持を得られるかわからない。地域からソッポを向かれたら神社の維持は不可能だ。
入植者の二代目の人達が本気にならなければ、われらの神社も八阪神社と同じ運命をたどることになるだろう。
フン害、権力や法以前に己の問題
全天うす雲に覆われた空からは終日鈍い日差しに肌を刺すような冷たい風だ。そんな中でも、グラウンドゴルフに興じる老人パワー見上げたもんだ。バレンタインデーのチョコを目当てに男どもが大勢集まったのか、いつになく参加者の多かった今日の例会だ。
きょう2月14日の誕生日の花はサンシュユとラジオ深夜便が伝える。この花もマンサクと同様丘陵尾根筋の畑で同じころの時季に見かける。秋に赤い実がなる。グミだ。これは見かけたことがない。おそらく、鳥の方が早く失敬しているだろう。
梅の花の香りの頃、葉の出る前に黄色の小さな花をたくさんつける。早春を代表する花木のひとつ。「庭のさんしゅうの木 鳴る鈴かけて」が歌いだしの宮崎県の民謡『ひえつき節』で歌われるさんしゅゆの木とはこの木のこと。
わが街三好丘緑は昨年平成30年1年間で犯罪被害に遭ったのは1件だけだった。先月1月もゼロだった。昨年6月以降ゼロが続いている。朝のグラウンドゴルフ中にも話題になった。10年前は遊歩道や市街地をウォーキングしていて、犬の糞やらゴミのポイ捨てをよく見かけた。
最近見かけるのは、故意に捨てたのではなく、うっかり落としたマスクと片手の手袋くらいだ。街の清潔さと犯罪率。これは相関関係があり、ひとつの犯罪理論にもなっている。かつてはわが街も年間34件の犯罪被害に遭った年がある。7.8年前のことだ。
先月のこと。多治見では街に犬の糞が多いので、市の条例を見直すよう請願を出す。諸君の街の状況を聞かせてくれと仲間のブログで呼びかけがあった。千葉県柏市在住のG君はフン害の騒ぎが何年か前にあったが、自治会の問題として取り上げ、今はうまく行っている。警察や条例で取り締まる問題でもないとカキコしていた。
クマさんは三好丘の状況を伝えた。10年前にはゴミのポイ捨て、フン害が甚だしく犯罪被害の件数も最高年間34件。住民リーダーの声掛けで街角ギャラリー(上の画像)や啓発紙の配布、パトロールなどの地道な活動で今では前述のような状況になった。
全国レベルで犯罪件数が減っている傾向にあるというものの、ゴミのポイ捨てやフン害のない清潔な街が犯罪をなくすという「割れ窓理論」(窓ガラスを割れたままにしておくと、その建物は十分に管理されていないと思われ、ごみが捨てられ、やがて地域の環境が悪化し、凶悪な犯罪が多発するようになる、という犯罪理論)の効果もあるといえる。
この種の問題は権力や法に訴える前に住民が自分たちの問題として取り組むように仕向けることが肝心でないだろうか。そんなカキコをした。
梅の香
まずは穏やかな空模様なものの、春まだ浅き風の冷たき一日だ。♪春は名のみの 風の寒さや で始まるコーラスでお馴染みの「早春賦」の世界だ。
昨夜から今朝にかけて入ったスポーツ界の二つのビッグニュース。震源地は日本の真南のオーストラリアだ。つい先日の節分で、今年の恵方は東北東と教わったばかりだ。今年は南の方角が悪いようだ。
女子水泳界のホープ池江選手、豪州合宿中での白血病公表。若きエースに神はなんと酷な試練を与えるだろう。桜田五輪担当相の「がっかり」発言が、またもや野党に揚げ足を取られている。いっそ、「池江ガンバレ!池江ガンバレ!」とやった方が褒められたことだろう。
もうひとつのニュース、テニスの女王大坂選手。全米に次ぎ全豪オープンテニスを制して、これからグランドスラムに向かって・・・というこの時期にサーシャコーチとの契約を解消したという発表だ。真相は闇の中。いずれにせよ、朝からオーストラリア絡みの話題がワイドショーを賑わせている。
梅・桜・桃は昔から春の到来を告げる花のビッグ3だ。2月も半ばになると、そのトップバッター梅の開花がメディアで取り上げられる。それに先駆けて、きのうの午後豊田へ出たついでに平芝・梅林公園を訪ねた。
約6万平方mの公園の中に37種530本の梅の木がある。この時期には早咲きの寒紅梅など10数本だけが人っ子ひとり見当たらない広い公園の一角で、ひっそりと咲いている。そんな静寂さが、抜けるような青空と深紅の紅梅のコントラストを一層引き立たせている。
素朴な疑問。歌に「匂いおこせよ梅の花」とか「春を知らせる梅の香り」とかあるが、梅ってそんなに香りがあるものだろうか?わが家にも太宰府天満宮で買って来た梅の木があったが、大きくなりすぎて切ってしまった。その木に咲く花の香りも嗅いだことがなかった。
モノの本によると、香りはちゃんとあるそうだ。梅の花の香りは、ジャスミンのような色気のある甘さとは違い、クチナシのように離れた場所まで届く強い甘ったるさもないという。「気品があり、優しい、甘く柔らかな香り」だそうだ。
千年以上も前に貴族たちがうつつをぬかした時分と周囲の環境も全く異なる現代人にはワケのわからんような梅の香りにうつつをぬかすヒマはない。これを、言っちゃったら身も蓋もない話だ。3月初めの満開の頃に行ってゆっくり臭いを嗅いでみよう。
幼児虐待に思う
1週間ほど前に北陸地方に「春一番」が吹いたというのに、この地方では空は青くても肌を刺すような北風の日が続く。「東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」菅原道真 この歌のように春の東風が待ち遠しい。
ラジオ深夜便によるときのう2月11日の誕生日の花はマンサクだった。2月の終わりから3月の初めにかけて丘陵の尾根筋の畑でしばしば見かける。せいぜい人の背丈ほどの高さだが、豊田・藤岡の緑化センターで同時期に見かけるシナマンサクは3m近い樹高のものだ。
名前の由来が面白い。春に他の花に先駆けて咲くので ”まず咲く花”ということから、だんだん転化してマンサクになったらしい。また、花がたくさんつくので「豊年満作」から命名されたとも。細長いひも状のちぢれた花。黄色が鮮やか。赤い種類のものもある。 満作科マンサク属。
千葉・野田市の小学4年生の女児が自宅で死亡した事件。連日新たな、そして痛ましい事実が報じられる。自分を愛してくれるはずの親から受ける暴力、救いを求めた大人たちの裏切り、だれも助けてくれないと悟った時の絶望・・・。ほんとに心が痛む。
「もうおねがい ゆるしてください」。ひらがなで綴った文章を残して亡くなった東京・目黒の女児の事件からまだ1年も経ってない。この二つの事件からこんなことが見えてきた。
●両親の虐待は家庭の中で起こる。家庭の中には「民事不介入」が原則の警察も児童相談所もなかなか入れるものではない。警察と児相との連携が肝心であることは当然だが、メディアも一般市民も警察・児相に過度の期待をし過ぎではないだろうか。
●日本の生活様式は西洋化したが、精神的な風土としての「家族制度」が脈々と続いている。親権の力が大きい。子は親の所有物。子どもの権利より親権が優先している。多治見のブログで裁判官OBのI君がカキコしていた。検察官には親権の剥奪権がある。その機能の重要性見直すべき。と。
●なんだ、かんだと云っても「子どもは社会で育てる」これが原点だろう。
「建国記念の日」の「の」チカラ
春が立ってからの「史上最強」と称される寒波は心身にこたえる。北海道を大いに冷やした寒波は南下し、関東地方にまで雪をもたらし、この地方は冷たい風のおこぼれだ。「余寒」にしては、厳しすぎる冷えようではないか。
立春を迎えて「寒明け」となっても、「三寒四温」を繰り返しながら正真正銘の春になって行く。三寒に当たる日の寒さが「余寒」だろう。そんなことからだと思う。暦の上での春になっても、おととい2月9日の誕生日の花に「寒ボケ」が選ばれていた。
まさか寒ボケが9日の誕生日の花に選ばれるとは知らず、8日の日記にその花をアップしてしまった。きょう改めて撮って来た。実が干し柿のように哀れな姿をさらしていた。ボケの花は12月頃から咲き出す寒ボケと春に咲き出すボケの種類があるそうだ。
秋にテニスボール大の実がなる。瓜のような形であることから「木瓜(もっけ)」と呼んでいたことが転じてボケとなった。枝にトゲのある種類とないものがある。花の色は赤、ピンク、白がある。バラ科ボケ属。
北海道で猛威を振った最強寒波が関東地方にまで雪をもたらした。ニュースになるほどだから、積もるほど降るのは珍しい。振り返ってみると、中世から権力の中心となることの多かった関東地方で、雪を背景に国をひっくり返すようなテロが起きている。
遠くは鎌倉時代、三代将軍源実朝が鶴岡八幡宮で襲われた。江戸時代元禄年間、赤穂浪士が吉良邸を襲った忠臣蔵。幕末、水戸藩浪士が井伊大老を襲った桜田門外の変。昭和の初め、陸軍の青年将校が高橋蔵相や斉藤内相を殺害した二・二六事件。いずれも雪を背景にしたテロだ。積雪が珍しい場所でまさかの時にまさかのことが起きたから印象深いということだろうか?
きょう2月11日は「建国記念日」ではなく「建国記念の日」だ。今月6日のカキコ。「春の雨」と「春雨(はるさめ)」、「の」が一字入ると入らないのでは大きく意味合いが変わってくる。 前者は春まだ浅い、今頃の雨。後者は春爛漫の頃の雨でないか。そんなことを云いたかった。
「建国記念の日」でいうとこうなる。、「の」の字1字が守旧派と革新派を妥協させた「建国記念の日」。ワケあり祝日だ。神話の神武天皇即位の日を戦前は「紀元節」としていた。これを「建国記念日」として復活させたい守旧派と軍国主義につながる亡霊をブチ壊したい革新派を妥協させてのは、「建国を記念するための祝日」としてのたった1字の「の」なのだ。「の」の字はたった1字でとてつもない力を発揮するのだ。
何はともあれ、自分の国の生い立ちを子どもたちに教えない国がどこにあるだろう。神話であれ史実であれ、建国の物語はどの国にあっても然るべきだ。それは国民を結びつける太い軸となるはずのものであろう。
その物語を自ら否定することは、自分の国を否定することに等しい。それこそ戦後の自虐史観にほかならない。このような歴史観はいい加減に断ち切るべきだ。この記念日の趣旨が「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことであるらしい。それならば、国主催の記念式典をこの日に行うことから始めるべきだ。
厚労省不正統計に思う
北海道が史上最強の寒波に見舞われている影響で、この地でも雪こそ降らないが真冬並みの寒さの一日だった。
きのう2月7日の誕生日の花はタンポポとラジオ深夜便が伝えていた。道端や空き地など、人によく踏まれるような場所でもたくましく生きているタンポポの独特の特徴を何年か前の「季節の花めぐり」で聞いた。そのメモを紐解いてみた。
いま、この地で見かけるタンポポは全部外来種のもの。在来種を見かけることはめったにない。在来種は3月頃から開花を始める。外来種は生命力が強く一年中花を咲かせる。タンポポは季節感のない花になってしまっている。外来種と在来種の見分け方を教材からアップしてみた。(下左の写真)
●タネ
綿毛をつけて風によって遠くまで飛んで散らばるようにする風媒花。
●根
土の中の水分や養分を吸い上げたり、葉で作られた養分を貯える働きがある。太いものだと直径5cm以上もあり、長さは30~50cmもある。こうして多くの養分が貯えられので、花が折られたり、葉が摘みとられても根が残れば再生する。
●花
朝につぼみが開いて、夕方にしぼむ運動を繰り返す。一つの花は3日間しか咲かない。
●葉
冬は上段右の写真のように地表に葉を平らに並べた状態で冬越しをする。地面に張りつくことにより、風にあまり当たらず葉から水分が飛ばされにくくなっている。茎が短いので、たくさんの葉が根元に集まり、外側の葉が枯れても、その葉が内側の葉を包み込み、生きている葉を寒さや乾燥から守る。
厚労省の不正統計問題が衆院予算委員会で審議されている。この問題は、これまでも色々と報道されている。こんなことを思った。
●厚生省と労働省の寄り合い所帯で「大男、総身に力がまわりかね」になっているのではないだろうか。
●華やかな権力の中枢を担う政策部門から遠い存在の統計管理部門の士気の問題ではないだろうか。
●IT化の進んだ今の世に、紙の調査票を調査員を通じて企業に配布・回収する方法で国の根幹にかかわる政策の統計資料を算出しているなんて、時代遅れも甚だしい。
学者の講演
われらのグラウンドゴルフの正月休みも明けて、ゴルフ、Jリーグ、プロ野球に先駆けて球春到来だ。そういえば、この「球春」が野球狂だった正岡子規の造語だとか、なんとか言われているが、今では春の季語にもなり、パソコンで入力してもちゃんと「球春」と変換される格式ある言葉になったものだ。
話がそれたが、グラウンドゴルフに打ち興じていると汗ばむほどの陽気になった。それを待ち構えていたように、わが家の庭ではクロッカスが咲き始めた。松葉のような細い葉とともに花径を伸ばし、チューリップを小さくしたような花を咲かせている。陽があたると開き、夕方には閉じる。
ラジオ深夜便によると、きのう2月6日の誕生日の花はヒメオドリコソウだった。この時期には、まだちょっと早いが3月に入ると、ウォーキングの道すがらの空き地や雑草地で必ず見かける草だ。葉が五重塔のような段々状。群生していると名前の通り大勢の人が踊っているように見える。しそ科オドリコソウ属。
先日の多治見での新年会で話題になった一件。
高校の同級生が天皇家御用達の大学で経済学部の教授をしていた。出身地多治見の信用金庫が招いて経済講演会を開いた。聴きに行った同級生がなんとも面白くない話だと酷評した。その教授次のようなメールで返事してきた。
(前略)講演とかセミナーとか何百回やってきましたが、皆が満足する内容などありえず、また、話を受身で聞いて、自分が儲かるなどといったことは、市場経済ではまったくありえないこと、そこで、「面白い、しかし、信頼できない」金儲けのための評論家の類の話は絶対したくない(中略)、ネガティブ・コメントをする参加者がおられれば、面白おかしい違ったタイプの講演会を選んでもらう以外ありません。
学者先生をワイドショーに出てくる評論家や予想屋と同一視するわれわれが間違っているか、講演を引き受けた以上聴衆に見合った話をする柔軟性を持ち合わせない学者先生の資質の問題なのか?講座の内容よりこの問題について考えさせられた。