旧国鉄中央線の廃線跡の公開
昭和41年中央線が複線電化されるまで多治見から名古屋へ行くのに二つ目の駅の高蔵寺までの間に14のトンネルがあった。(後に古虎渓駅ができて、現在では三つ目)蒸気機関車が客車を引っ張りトンネルの出入りごとに窓を開けたり閉めたりの連続だった。
多治見で生まれ育った者にとっては、蒸気機関車、トンネルに数々の思い出がある。子供の頃は汽車に乗って名古屋駅前の
アロハマーケット(現在ミッドランドスクェヤーのある場所)へ連れられて行ったこと、中学生くらいになると友達同士で大須のスケート場へ行ったこと。社会人になっても2年ほどは汽車通勤をしていたことなどなど。
昭和41年複線電化の際に多治見、定光寺間の土岐川(庄内川)沿いの8キロが新ルートに変わり、山ひだを縫うように走り14の赤レンガのトンネルのある区間が廃線となった。明治33年(1900年)の開通当時の面影を今に残す鉄道トンネル群1.5kmが2日から6日まで公開されたので初日のきのう早速行ってきた。
廃線跡にはレールも枕木も残っていない。廃線後約40年放置されたことが幸いして軌道跡には直径30cmを越す樹木や数百本のモミジが群生して豊かに復活した自然と遺産群が共生している。竹林もたくさんあり、トンネル内の足元を照らす灯りはここで伐採した竹の中にローソクを入れたもの。(右側写真)
市民公開は定光寺駅から多治見方向へ5分ほど歩いた所から1.5km区間。その間に4つのトンネルがある。110年前の開通当時の面影を残すレンガ造りのトンネル。
<きょうの一枚> 国鉄の切符硬券を模して作った領収書 5月2日
この廃線トンネル群の保存再生はNPO法人「愛岐トンネル群保存再生委員会」がトヨタ財団「地域社会プログラム」の助成を受けて行なっている。廃線跡再生基金への募金に協力すると写真のような切符をかたどった領収書をくれる。
今、公開されている区間は岐阜県との県境まで。自分が元気で歩ける間にぜひ多治見まで保存再生をして欲しいので協力してきた。