発車ベルあれこれ


朝のうちは、逆走フック台風一過の秋晴れのような爽やかさ。とはいえ、ときはまだ7月。日が高くなるにつれてギラギラ太陽の猛暑日が戻ってきた。やっぱり、この時期にはサルスベリの花が似合いだ。


半世紀以上前の列車の窓が開閉できて、窓から顔を出して駅弁を買っていた時代のことだ。停車時間が限られている。発車のベルは鳴る。売り子はすぐそこまできている。列車が動き出しても、売り子は走りながらもついてきて間一髪駅弁を手にしたことや、釣り銭をもらい損なったこと。我々の年代の人は大抵こんな思い出を持っていると思う。



きょうの中日新聞朝刊「中日春秋」。終戦直後の発車ベルを絡ませたヒット歌謡曲三橋美智也の「哀愁列車」や春日八郎の「赤いランプの終列車」を引き合いに出して、哀愁の発車ベルも今は昔かと懐かしんでいた。それというのは、JR東日本では8月から常磐線の一部区間で駅のホームでの発車ベルは使わず車内からの車外向けスピーカーでドアの開閉を知らせる実験をするそうだ。


理由は、改札口まで聞こえるような大音量の発車ベルやメロディーが駆け込み乗車を誘発していることも考えられるので、その効果を確かめるためらしい。効果があれば、やがて全国でベルが消え寂しい気もするが、危険な駆け込み乗車が少しでも減るならば、やむを得ぬところで<別れのベルよ>と手を振るか。と結んでいる。





まぁ、そういうことだろうが、北京五輪のとき来訪者に洗練された北京の人達を演出するためにバスやトロリーバスの整列乗車にものすごく力を入れていたことを思い出す。この実験が2020東京五輪対応のためではないと思うが、もしそうだとすれば、そんなに卑屈になりなさるな、自信をもってくださいと云いたい。


1964東京五輪のころは、うるさくベルが鳴り「白線の内側までおさがりください。ドアが開きます。前の方に続いてお入りください。ドア付近に立ち止まらないで、中までおはいりください」そんなこと言われんでもわかっとる。みなそう思っていた。


前の東京五輪から54年。最近の東京の状況はよくわからないが、今のJR東の都区内の駅でベルを使っているのは、新大久保と千駄ヶ谷だけのはずだ。他の駅は接近メロディーが鳴り、運行管理システムと一体となった発車メロディーが鳴る。発車時間が来たら無言でスゥーと発車する。誰も知らせてくれない。自己責任だ。そんな世界の人達には日本流が奇異に映るかもしれないが、これが日本の文化といえばいい。