生き物写真展

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今年の春はいつもと比べて相当前倒しでやってきているようだ。うららかな日がもう3日も続いている。思い起こせば、14年前の愛知万博の開幕日3月25日には雪が降っていた。トランプ大統領、地球の温暖化はフェイクニュースだというが、こんなことからもわかるんじゃないかねぇ。

 

 

クマさんの日記にも時々コメントを寄せていただく三好丘在住の生き物撮影歴23年の「いきともじいさん」が、3年ぶりに写真展を開かれた。今回のサブタイトルが「これが最後かも展」。会場で「終活まだ早いよ」と言ったら「この方が大勢来てもらえるねぇ」まだ、まだやる気満々のようで大丈夫だ。



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彼は三好丘に越して来て20数年年になる自分と同世代人。生き物撮影をはじめたきっかけは近所で見かけたカワセミに魅せられてとのことだ。彼が単なる趣味のカメラマンとちがうのは、境川やその周辺に生息する小動物や草花などの撮影を通じてみよしの自然環境の変化や環境保全の大切さを訴える活動を続けておられることだ。

 

市内の小学校や公民館など20ヶ所以上に定期的に環境保全を訴える手作りの写真ポスターを作っていて、それが100号近くになる。講演活動もされている。生涯学習講座で講演を聴いたこともある。彼の魅力はいわゆる”プロの活動家”ではなく、あくまで”アマチュア―の延長線上”であって謙虚なことだ。みよし市内にこだわり、同じテーマ、対象を追い続けているのは彼しかいないからそれだけに説得力がある。



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今回は2月11日~22日に豊田・大林町のすまいる館1階ロビーで開かれた。カワセミ(写真2段目左側)・イタチ(写真最上段左側)はじめ鳥・哺乳類・虫などの楽しく感動いっぱいの80点が展示されている。 ホンドギツネ(写真最上段右側)はウチから徒歩5分ほどのウォーキングコースから少し外れた場所。

 

日常の生活圏にこうした貴重な小動物が生息していることがわかったからには、われわれの手でこの環境を保全して行くのが義務だろう。だって、小動物たちが棲みにくい環境はわれわれ人間にとっても悪い環境だから。そんなことを痛感した。都会との距離がほどほどで、これだけの自然環境。「いつまでも あると思うな この自然」

 

 

 

梅に鶯

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けさのウォーキングの道すがら、ウグイスの初鳴きだ。それも、この時季にしては鳴き方が上手だ。6人のウォーキングメンバーのうち、現役・元合わせたら4人が地元のコーラスグループのメンバーだから、ウグイスも気を使っているわなぁ~。と、クマのコメント。

 

「梅に鶯」という成句がある。梅は春を待つ人々に咲きかけ、春告鳥とも言われるウグイスは春の訪れを歌い共に親しまれきた。取り合わせが良い二つのもの、美しく調和するもの、と言う例えの成句だ。

 

折しも、きのうの昼下がり、普段のウォーキングコース沿道に咲く梅の花をゆっくり時間をかけて写真撮影したところだ。けさのウグイスは素人には写真を撮る事が出来なくて残念だが、気分的には春の訪れを満喫できた。

 

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先週のニュースから思ったこと

● ほゞ予想通りの結果 沖縄県民投票

日米安保、日本の防衛に関わる問題を「辺野古埋め立て」に「賛成」「反対」「どちらとも言えない」の3択にして、その結果を即民意とするのはいかがなものか?「賛成ではないが容認」という選択肢を入れたら、もっと民意に近い結果が出ると思う。

 

結果が法的拘束力がないからといって、国は無視するばかりではいけない。沖縄県側も世界一危険といわれる普天間基地の緊急避難的な代替地として辺野古を認めた上で、日本の防衛力における沖縄の役割を国と話し合う。こんなことが普通の人が考える平均的な答えでないだろうか。

 

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●「はやぶさ2」が小惑星「りゅうぐう」に着陸

地球から3億km以上、月までの距離の800倍に及ぶと言われる距離にある小惑星「りゅうぐう」、そんな宇宙の遠くで自動運転を頼りに直径6mの小さな的を狙う技術には改めて脱帽だ。米・露・中国に宇宙開発の分野では後れをとっていると言われるわが国の技術も捨てたものではない。

 

科学オンチのクマさんには理解できないことが多い。「はやぶさ2」が「りゅうぐう」から持ち帰る物質によって地球の生命誕生の謎が解き明かされる。と報道されている。なぜ、解明できるのか。解き明かしたことによって、何がどうなるのか。それが、我々の日常生活にどう関わって来るのか。

 

一般人に理解し難いから、民主党政権時代の事業仕分けでは予算を削られて研究に苦労したそうだ。はやぶさ2はそろばん玉に似た小惑星を離れ来年末には帰還するそうだ。立派な結果を出して、事業仕分けのメンバーを見返してもらいたいものだ。

 

                                        

 

 

 

”どっちも、どっちも、どっちも”

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2月も残すところ1週間足らず。第4金曜は居酒屋花金の日。日記も早めに切り上げだ。Jリーグが、プロ野球オープン戦が始まる。めっきり春らしい陽気だ。ラジオ深夜便誕生日の花、きのう2月21日はミツマタ。きょう22日はカンシロギクだった。

 

ミツマタは和紙の原料の木としての知識ぐらいだった。リタイヤーして緑化センターの季節の花めぐりに参加するようになって、あの黄色い花の咲くミツマタを同センターの土手で見かけるようになった。最近はウォーキングの道すがら、あざぶの丘公園ではアカバミツマタが、その派手な彩で人目を引いている。(上の画像)

 

ミツマタはちょっと個性的な花木で、花芽は蜂の巣がぶらさがったような形。枝は3本ずつ分岐。これが名前の由来だ。樹皮には強い繊維があり和紙の原料になる。この地では3月上旬から4月上旬が花期。沈丁花ミツマタ属。

 

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22日の誕生日の花カンシロギク。初めて聞く名前だ。パーソナリティーの話を聞いているうちになぁ~んだ、ノースポールのことではないか。花付がよく株全体を真っ白に覆うように見えることから北極を連想して別名として定着したそうだ。草丈15~25cm。

菊科フランスギク属。

 

このノースポール、わが家の庭では12月から6月頃までマーガレットによく似た白い花で主役をつとめている。この逆パターンの5月から11月頃まではランタナが主役だ。どちらも丈夫で手間がかからず、ものぐさ夫婦にはぴったりの花だ。

 

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桜田大臣がまたまたお騒がせだ。委員会に2分遅刻であの騒ぎ。遅れる方も、遅れるほうだが、遅れたからと言って退席する野党も野党だ。国家の大きな問題を抱えていながら、国会で子どもの喧嘩みたいなことをしていて、どっちもどっちだ。恥ずかしくないか先生方!

 

”どっちもどっち”といえば、桜田大臣の「がっかり」発言。たしかに、閣僚として慎重さを欠く言葉使いだ。メディアは「がっかり」発言が一部の抜粋とわかっていながら大衆の関心を引くために「切り抜き報道」をするのも考え物だ。野党もそれがわかっていながら「政争の具」にする。人の病を政治利用するなんて”どっちも、どっちも、どっちも”だ。池江選手を巻き込むな。

 

 

 

 

 

 

世界が注目ハノイ

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月が最も地球に近づいたときに満月になる現象をスーパームーンというそうだ。今年は2月20日0時54分とか。この日は雨に遮られたので一日遅れの夜明けのスーパームーンだ。

 

「菜の花や月は東に日は西に」蕪村 この俳句とはまったく逆のシチュエーションの上の画像。「菜の花や満月西に陽は東」とも云えよう。清少納言は「枕草子」で「春はあけぼの」と夜明けの風情を絶賛しているからといって「満月西、陽東」ではどことなく不釣り合いの感じがする。

 

蕪村の句は一面の黄色い菜の花、同時に見える月と太陽…穏やかに暮れゆく春の色彩感と香りと空気感、さらには、月と太陽と大地と作者が一体化する瞬間が感じられる句に感じられる。

 

 

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注目のベトナムハノイでの米朝会談が来週に迫って来た。両国の先遣隊の動きが連日報道されている。ハノイへは4年前の2015年に3月と12月の2度訪れている。ハノイの街がテレビに写し出される度にその思い出が蘇り、日頃会話のない夫婦にも話題を提供してくれている。

 

現地ガイドの話で今日本の企業がベトナムに進出する理由が垣間見られた。

 1.ベトナムはアセアン諸国を結ぶビジネスの絶好の拠点である。

2.ベトナム人の国民性は明るく、素直で素朴。勤勉。親日的。

3.人口9千万人で平均年齢28歳(日本45歳)。人口が増加傾向で今に日本の人口に追いつくよ。

4.年5〜8%の高度経済成長。日本の1960年代のように高い経済成長率。

 

ハノイの朝の通勤ラッシュ。片側3車線ある広い道路がバイクで埋め尽くされ、けたたましいクラクションとバイクの轟音がすざまましい。ホンダがバイクの代名詞にもなっているそうだ。ベトナム全国で1日平均32人の交通事故による死者があるそうだ。

 

 

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3月に行ったベトナムはカンボジャのアンコールワット行きの通過地みたいなものだったが、12月にはまがりなりにも北ベトナムハノイ南ベトナムホーチミンの市内観光をして、ベトナムという国に触れてみることができた。この国、南北に長い国で日本の9割ほどにあたる国土面積。北のハノイは首都で政治文化の中心地。約1700km南にあるホーチミンは経済の中心地。飛行機でも2時間の距離。鉄道だと33時間かかる。

 

 

ハノイでは春夏秋冬があって12月は22〜13度の気温。ホーチミンは雨期と乾期に分けられる。12月は乾期で32度くらい。35歳以下の人口が65%で非常に若い。ハノイの労働者の平均給与は月2万円(大卒4万円)1日3食約800円。大多数は副業で生計を立てている。経済の中心地ホーチミンではハノイの倍近い給与。

 

 

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ベトナム戦争インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムを舞台に米国中心の資本主義陣営と、ソ連を中心とする共産主義陣営との米ソの代理戦争でもあった。ホー・チ・ミンが率いる北ベトナム側は、南ベトナムを「米国の傀儡(かいらい)国家」と規定し、南北ベトナム統一独立国家の建国を求める植民地解放戦争であるとしたのだ。

 

 

こうした歴史的背景があるせいだろうか。北のハノイと南のホーチミンでの現地ガイドの本音のところをただしてみるとやはり、歴史を引きずっていることがわかった。ハノイのホーさん(40代男)。電気もなく、虫をも食べていた幼い頃と比べ、今の生活ができるようになったのはホーチミン共産主義のおかげ。皆さんはベトナム戦争ベトナム人同士の南北戦争と思っているかもしれない。決して、そうではない。共産主義のための戦争だった

 

ホーチミンのソンさん(40代男)思想的な話になるとこれ以上は云えない。と口をつぐむケースが度々。小さな会社を経営しているようで、これ以上手を広げようとすると”賄賂”なしにはできない。と共産主義に懐疑的になっていることが、見て取れた。

 

 

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 古きものと新しきもの。相対する二つの魅力が融合した街。ハノイにもホーチミンにも共通して云える形容詞だろう。ホーチミンの街角で信号待ちのバイク集団と欧州の最高級車が並ぶショウウィンドウ。ホーチミン随一のショッピングストリート、ドンコイ通にはデパート、ホテルが立ち並ぶ一方で、仏領時代からの建物も残り新旧が混在した独特の風景だ。

 

 

ハノイの西側には近代的な高層ビルが建ち並び新都心となりつつある地区がある。その一方旧市街は、昔ながらの商業区として風情と趣をたたえたエリアだ。新旧がほどよく溶け合う。それがベトナムの二大都市ハノイホーチミンの魅力だ。

 

 

冬から春への分かれ目「雨水」

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 きのうの久しぶりのまとまった雨が上がったけさは、いっきに春が来た感じだ。雨が春を運んで来た。そういえば昨日2月19日は二十四節気の「雨水」。文字どおり春らしい陽気になった。最高気温17度の予想。東京では19度とか。


「雨水」は確かに冬から春への季節のターニングポイントではないだろうか。「雨水」を境に実際に春モードになるのだ。今、国会では賃金統計が「名目」だの「実質」だのともめている。その論でいえば、「節分」は名目上の季節の分かれ目で、実質上のそれはこの「雨水」といえるのだろう。

 

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真夏を除けば朝起きるのはだいたい6時半。ついこの間まではまだ暗い。この時期になると夜明けの時間で、外はもう明るい。余程のことがない限り氷点下の朝もない。徐々に白くなって行く山際が少し明るくなって、むらさきがかった雲が細くたなびいている。春が来たと実感できる、この風情がいいのだ。まさに、「枕草子」の「春はあけぼの」の世界だ。「雨水」の頃になると、普通の人が起きる時間に外が明るくなる。これがターニングポイントで春モードになるのだ。

 

「雨水」の日の雨が運んで来た「春」で丘陵の田園地帯の風景もいっきに春モードだ。「光の春」の「光」が一層輝きを増し、菜の花畑が色鮮やかになり、冬空のときにはくっきり見えていた鈴鹿の山々も春霞のベールの中に隠れてしまっている。

 

 

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農道では、鮮やかな瑠璃(るり)色のオオイヌノフグリの活動が始まった。わが家の庭でも、冬の間おとなしかったグランドカバー用の小さな花(名前が思い出せない)の始動だ。これらも「雨水」の日の雨がターニングポイントになっての始動ではないだろうか。

 


昔から言われるように「雨水」が来たら春野菜の準備をはじめる。けさのウォーキングでも「じゃがいも植えた?もう、やらないかんねぇ」が挨拶だ。ここにもターニングポイント「雨水」があった。

 

昔から言われている「雨水」から取り掛かるのが「雛飾り」だ。ウチは3人の娘が皆出て行ってしまって”元”しかいない。飾ることもなし。何にせよ、一般家庭では「雨水」を機に「雛飾り」を始めるのが多いようだ。やっぱり、これを機に春モードになるターニングポイントだ。

映画「八甲田山」

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週明けとともにいっきに春が近づいた感がする。穏やかな晴天だ。きょう2月18日の誕生日の花は沈丁花ジンチョウゲ)とラジオ深夜便。この花5.6年前までは、わが庭でも3月に入ると咲いていた。春の開花ラッシュの始まりを告げる花とでもいおうか。

 

花芽は、前年の秋にはできているが実際に咲き出すまでに寒い中、3ヶ月以上を花芽のまま過ごす。外側はピンクで内側は白い。香りは「沈香(じんこう)」という香りに似ており、葉の形が丁子(ちょうじ)という植物に似ているところから、”沈丁花”になった。春の沈丁花、秋の金木犀。香りの両横綱だ。

 

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昨夜テレビで映画「八甲田山」をみた。明治35年冬の八甲田山で起きた軍隊の遭難事故を題材にした新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」を映画化したものだ。興味を惹かれたのには二つの理由があった。この事故はビジネスリーダー養成のための教材にたびたび用いられたが、原作は読んだことがなかったので、とりあえず映画で・・・。

 

もう一つの理由は、学生時代の貧乏旅行で山麓酸ヶ湯温泉で1泊しこの山に登ったことがあるから懐かしさも手伝って。40年以上も前の1977年制作の映画で高倉健北大路欣也丹波哲郎三国連太郎小林桂樹など今は亡きオールドネームがずらり。

 

あらすじとそこから読み取れる組織のリーダーのあるべき姿はこうであろう。大陸での日露開戦は不可避と見られていた明治34.5年のこと。弘前の第4旅団では厳冬期の八甲田を行軍して雪中行軍の注意点や装備品の研究をすることになった。

 

参加するのは神田大尉率いる青森第5連隊196名と大隊本部随行員14名の計210名。それに徳島大尉率いる弘前31連隊の少数精鋭27名のふたつの連隊。この青森発と弘前発の両連隊が八甲田ですれ違う行軍計画だった。

 

 

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青森発の神田隊は行程半ばで悪天候に遭った。道を見失い、雪山に慣れない兵のために雪中行軍は四散、バタバタと倒れて行った。その結果210名中12名しか生還しなかった。一方の弘前発の徳島隊は負傷者1名以外は全員八甲田を踏破し生還した。

 

 

こうした状況の中でのリーダーたちのとった選択を検証してみよう。結果的には指揮命令系統の機能の差が生死をわけたのではないだろうか。神田隊は大隊本部の随行も含めた混成の大部隊。神田大尉の上官である大隊長随行していて神田の指揮に干渉する。これでは、組織が混乱する。徳島大尉は敢えて27名の少数精鋭を選抜し指揮命令が行き届くようにした。

 

両隊の生死を分けたもうひとつの決定的な差は事前準備の差だ。徳島大尉率いる弘前隊は全行程道案内人をつける事前の準備、手袋、靴下は二枚重ねで着用など凍傷に対する準備などを徹底させた。神田隊は道案内人の計画はしたが指揮権の混乱から雇用できなくなり悲惨な結果を招いてしまった。

 

強いリーダーとはまさにこんなふうに例えられる。「一頭のライオンに率いられた百頭の羊の群れは、一頭の羊に率いられた百頭のライオンの群れに勝つ」

 

 

 

 

 

 

 



 
 

平成の間No.1を守った商品

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布団干しには最適な晴れ間が広がった静かな日曜。耳目に届くニュースは非常やら異常の事態ばかりだ。トランプ大統領の国家非常事態宣言。己の目論む予算を通すためにこの宣言。これでは、米国の民主主義が非常事態だ。

 

英国のEU離脱を決めた国民投票。離脱期限が来月に迫っているのに、何も決められず世界中がやきもき。これでは、議会制民主主義を無力化させた英国の非常事態だ。辺野古での埋め立ての賛否を問う沖縄の県民投票。日本からの独立を問う投票ならわかるが、埋め立て云々ではまったく税金のムダ使い。異常事態だ。

 

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朝の連ドラ「まんぷく」がいよいよ佳境に入って来た。万平・福子夫婦が試行錯誤の末にやっと即席麺の完成にこぎつけた。ときは昭和33年のこと。台湾出身で即席ラーメン「チキンラーメンカップ麺「カップヌードル」を開発した安藤百福氏をモデルにしたドラマだ。

 

即席ラーメンが世に出回り始めた頃、カレーもハウスやらSBなども出回った。大学2年の昭和36年頃だった。ハウス食品がラジオのコマーシャル出演者をリスナーから募集した。応募、採用され銀座の電通のスタジオで録音した。謝礼はカレー1ケース12個。

 

高度成長時代、三種の神器とともに生活様式も変わり、即席麺やカレーが簡単にわれわれの口に入るようになった。昭和の時代のヒット食品といえるだろう。昭和もバブル景気の時代から平成にかけてはスーパー、コンビニが隆盛品種も多様になった。

 

 

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一昨日の日経電子版に「平成の間1位を守り続けた商品」と題して、同社の膨大なデータに基づいて食品や飲料などのランクづけをしていた。日頃スーパーやコンビニに行かないわれわれにも馴染みの商品が名を連ねている。

 

 

●生めん・ゆでめん 「マルちゃん焼きそば」 ●乾めん 「揖保乃糸 上級品」

●滋養強壮ドリンク 「オロナミンC」    ●和風調味料 「ミツカン味ぽん

●麻婆のもと    「麻婆豆腐の素」 ●紙パック紅茶「森永リプトンレモンティー

●茶漬けのもと   「永谷園お茶づけ海苔」

 

連ドラ「まんぷく」の主人公のモデルとなった安藤百福氏が、即席ラーメンがヒットした要因を3つ挙げていた。第1はチキンラーメン発売と同じ時期にスーパーマーケットが加工食品を大量販売する流通システムを確立しはじめたこと。

 

第2はテレビコマーシャルが効果をあげたこと。第3は消費者が食事に簡便性を求めるようになったこと。当然のこととはいえ、「平成の間1位を守り続けた商品」は皆前述の3要因をクリヤしている。流動する情勢を見極め、打つ手を変えることが要求される昨近、守り続けることもまた大変だ。