映画「八甲田山」

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週明けとともにいっきに春が近づいた感がする。穏やかな晴天だ。きょう2月18日の誕生日の花は沈丁花ジンチョウゲ)とラジオ深夜便。この花5.6年前までは、わが庭でも3月に入ると咲いていた。春の開花ラッシュの始まりを告げる花とでもいおうか。

 

花芽は、前年の秋にはできているが実際に咲き出すまでに寒い中、3ヶ月以上を花芽のまま過ごす。外側はピンクで内側は白い。香りは「沈香(じんこう)」という香りに似ており、葉の形が丁子(ちょうじ)という植物に似ているところから、”沈丁花”になった。春の沈丁花、秋の金木犀。香りの両横綱だ。

 

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昨夜テレビで映画「八甲田山」をみた。明治35年冬の八甲田山で起きた軍隊の遭難事故を題材にした新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」を映画化したものだ。興味を惹かれたのには二つの理由があった。この事故はビジネスリーダー養成のための教材にたびたび用いられたが、原作は読んだことがなかったので、とりあえず映画で・・・。

 

もう一つの理由は、学生時代の貧乏旅行で山麓酸ヶ湯温泉で1泊しこの山に登ったことがあるから懐かしさも手伝って。40年以上も前の1977年制作の映画で高倉健北大路欣也丹波哲郎三国連太郎小林桂樹など今は亡きオールドネームがずらり。

 

あらすじとそこから読み取れる組織のリーダーのあるべき姿はこうであろう。大陸での日露開戦は不可避と見られていた明治34.5年のこと。弘前の第4旅団では厳冬期の八甲田を行軍して雪中行軍の注意点や装備品の研究をすることになった。

 

参加するのは神田大尉率いる青森第5連隊196名と大隊本部随行員14名の計210名。それに徳島大尉率いる弘前31連隊の少数精鋭27名のふたつの連隊。この青森発と弘前発の両連隊が八甲田ですれ違う行軍計画だった。

 

 

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青森発の神田隊は行程半ばで悪天候に遭った。道を見失い、雪山に慣れない兵のために雪中行軍は四散、バタバタと倒れて行った。その結果210名中12名しか生還しなかった。一方の弘前発の徳島隊は負傷者1名以外は全員八甲田を踏破し生還した。

 

 

こうした状況の中でのリーダーたちのとった選択を検証してみよう。結果的には指揮命令系統の機能の差が生死をわけたのではないだろうか。神田隊は大隊本部の随行も含めた混成の大部隊。神田大尉の上官である大隊長随行していて神田の指揮に干渉する。これでは、組織が混乱する。徳島大尉は敢えて27名の少数精鋭を選抜し指揮命令が行き届くようにした。

 

両隊の生死を分けたもうひとつの決定的な差は事前準備の差だ。徳島大尉率いる弘前隊は全行程道案内人をつける事前の準備、手袋、靴下は二枚重ねで着用など凍傷に対する準備などを徹底させた。神田隊は道案内人の計画はしたが指揮権の混乱から雇用できなくなり悲惨な結果を招いてしまった。

 

強いリーダーとはまさにこんなふうに例えられる。「一頭のライオンに率いられた百頭の羊の群れは、一頭の羊に率いられた百頭のライオンの群れに勝つ」