シクラメンのかほり


朝の寒さは一段落の感。雲が広がり、薄日が射す程度の静かな日曜。部屋に飾ってあるシクラメン、きょうのようにたとえ薄日しか当たらなくてもその真綿色の白さは布施明の歌のように清しい。


シクラメンのかほり」を作詞、作曲した小椋佳が先日ラジオのインタビューでこのヒット曲が生まれた裏話を披露していた。その詳しいことは省くが、実際にはあり得ないことをふたつ承知の上で詩の中に入れた。ひとつは、シクラメンに香りなどない。もうひとつは三番の出だし♪うす紫のシクラメンほど  淋しいものはない の紫のシクラメンはない。と。ところが、歌のヒットとともに香りのあるシクラメンもうす紫のシクラメンも開発されてしまったそうだ。


豊かさと至便さを追い求める人間の欲を満たすために科学技術は想像を絶する進歩を遂げ、ついには自然界に挑発的な行為を繰り返すまでになった。少しでも思うがままの生活をしたいという日常的な欲望が科学技術を大きく進歩させる原動力であったことは間違いない。この辺で時代や科学技術に追い立てられることのない穏やかな時も必要でないか?科学技術オンチの年寄りの”たわごと”かもしれないが・・・。