危機管理の危機


冬型の気圧配置が緩んだせいか穏やかに晴れ渡った冬空に。ウォーキングのご近所さんメンバーに飛び入り参加したおじさんなど額に汗をかきながら歩行をするほどの暖かさになった。丘陵地の稜線上の畑に植えてある四季桜が美しい。先日の芝桜と同じようにフライング咲きだろうか?


最近世間を騒がせた事件の報道に接する度に「また、また平和ボケか」と言いたくなることばかりだ。「オウム平田事件」。特別手配されている平田が自ら出頭したにもかかわらず、大崎署、警視庁、丸の内署とたらい回しにされて晴れて逮捕されるという始末。どの警官も「平田が出頭して来るなんてありえない」と思っていただろう。


台湾の女子留学生殺害事件の被疑者の身柄を拘束しておきながら隠し持っていたナイフで自殺させてしまった事件。拘束した警官たちは「ナイフを隠し持っていることなどあり得ないだろう」と思って身体検査をしっかりしてなかっただろう。


広島刑務所の脱走事件。刑務所内の運動場で監視する刑務官から死角になる場所があっても改善しようとしなかったこと。百台近い監視カメラをひとりでウォッチしているという監視体制など、「収容者が脱走するなんてあり得ない」ということが、前提になっているとしか思えない管理体制が問題だろう。


これらの事件はすべて年末から今月に入って起きた事件ばかり。一事が万事「平和ボケ」が引き起こしたと言っても過言ではないだろう。原子力安全委員会や保安員は「原子炉が事故を起こすなんてあり得ない」と思っていたかもしれない。しかし、それでは危機管理はできない。


わが国の官僚機構は半世紀以上にわたる「平和ボケ」で危機管理の危機に陥ったのではないだろうか。原発事故と平田事件、殺人被疑者自殺事件、刑務所脱走事件が警告を発している。