データ野球に思う

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「また、冬に戻ったみたいだね。この風の冷たいこと」朝のウォーキングでの挨拶だ。4月の声を聞いても、寒気の影響がまだ残っている。目に飛び込む景色、”視感”は菜の花畑が光り輝き、桜が咲き始め、そろそろ見頃になる春そのものの田園風景だ。ところが、肌で感じる”体感”はまだ冬の延長だ。目で見るのと、肌で感じるのでは、何とギャップの大きいことか、きょうこのごろ。

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甲子園のセンバツ東邦高校が優勝した。平成の始まりの年に優勝して、平成の最後の今年に優勝で締めくくるとは、なんか運命的なものを感じる。日頃、高校野球にあまり関心がなかったので、きょうの試合もテレビ観戦をしなかった。高校野球にもデータを集めるスタッフがいて作戦を立てているということを、夜のニュースで初めて知った。

 

「野球道」の権化みたいな存在である高校野球だから、投げ、打ち、走るのはあくまで選手たち。データ野球なんかの対極にあるものだと思っていた。ITの進化で囲碁や将棋がコンピュータ対局する世の中になったことを思えば、高校野球も膨大で緻密なデータが主役になりつつあるのも、時代の流れかなぁ。

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スポーツライター生島淳氏の寄稿を読んだことがある。メジャーリーグの貧乏球団が裕福な球団のように高額なカネを使った選手補強ができないので、徹底したデータ分析で巨大球団に立ち向かった話は映画化もされたそうだ。

 

イチロー選手が引退会見で最近の米野球を「頭を使わなくてもできてしまう野球」と言ったのは球団がこうしたデータ戦術を徹底させる傾向への反発の表れではないだろうか。彼はやはり、日本人だ。論理より情緒を重んじている。そんな気がする。

                                      データでがんじがらめにされた寸分のスキもない、息のつまるような真剣勝負もいいが、データもさることながらプレイヤーの見せ場を重視したゲーム展開を期待する。日本人はこれなんだ。最下位ながら甲子園にいつも4万人近い観客を集めるタイガースがいい例だ。