田ノ井先生

先月の月末から旅行、神社の秋祭りの裏方と非日常が続いたが、きのうでどうやら一段落して日常の生活が戻った。庭のハナミズキの葉も赤茶けた色に染まり、サルスベリも賞味期限切れ寸前の状態だ。暑い、暑いといっていたがもうすっかり秋らしくなった。

桂林のパンダ−1 


けさの中日新聞27面「うえるかむシニア」欄のトップ、「古代史に魅せられた医師 田ノ井貞治さん」の見出しに”もしや、あの田ノ井先生では・・・?”と記事に引き寄せられた。よく読んで行くと、やはりあの先生だった。60年も前のあの出来事の記憶がこの記事で蘇ったのだ。


小学校3年か4年のときだった。当時は多治見のメーンストリートといっても車の通行はほとんどない。自転車を手放し運転で得意になって乗っていた。市長の公用車が前方からやってきた。それまで自動車の方向指示器といえばアポロといって小さな腕木式のものだったが、この公用車は最新型のウインカー式のものだった。この事故ではじめてウィンカー式の方向指示器があるのを知った。前方からやってきてアポロが出てないので直進するものだと思い込んでいたら左折してきた。手放し運転からあわててハンドルに手をかけ車を避けたが、勢い余って商店のウィンドウの中に突っ込んでしまった。


ウィンドウガラスの破片で頬を切り相当出血した。近くの田ノ井外科産婦人科医院に駆けつけ、幾針か縫ってくれたのが田ノ井先生だった。まったく泣かなかったので褒めてくれたのを憶えている。実家が本屋で、本好きな先生がよく店に来られたので先生とは面識があった。

 桂林のパンダ−2


先生は現在93歳で、53歳のとき古代史に出会い千を超える遺跡巡りをして歴史関係の書物を既に三冊出版されており、近く四冊目を出版されるそうだ。

 桂林のパンダー3


今の縫合技術だったら、特に顔の場合など縫い痕の残らないようにするのは当たり前のことだろうが、なにせ60年も前のことで今でも縫い痕が残っている。先生の健在ぶりが新聞記事でわかった。頬の傷痕を見るたびに長生きの”熱中人”田ノ井先生を思い出し、少しでもあやかれるよう喝を入れよう。