ゼロ


夜中に降った雨も上がりお昼前から秋晴れの真夏日。けさのテレビで報じていた。関東地方では水不足と暑さで柿やぶどうなどの秋の味覚が不作だとか。それにひきかえウチの柿は植えてから10数年になるが、一番の豊作といっていいほどだ。カミさんご執心のスポーツクラブへ行ってみなさんにおすそ分けしていたキュウリもなくなった。それに代わってゴーヤと柿になったようだ。キュウリ夫人転じてゴーヤ夫人、かきおばさんになっているようだ。


きのうの自主防犯クラブの役員会で報告があった。940世帯3千人のわが町内、6・7月と2ヶ月連続犯罪発生件数ゼロで史上初の3ヶ月連続ゼロを目指していたが、残念ながら8月に車上ねらいの被害に遭ってしまった。と。「ゼロ」という表現の仕方が最近多くなったような気がする。                                    


かつて生まれると同時に1歳になった赤ちゃんは、今は0歳だ。プロ野球の選手の背番号に「0」とか「00」が使われ始めてまだ10年も経っていないはずだ。「一から出直し」も「ゼロから出直し」と言われてもあまり違和感がなくなった。0と1からなるデジタル化された情報の処理や伝送方法になんらかの関係があるような気がするが、難しいことはわからない。人間の思考構造がデジタル的になってきたということか?


よくわかるのは、民主党政権の「2030年代に原発稼働ゼロ」を柱としたエネルギー・環境戦略は衆院選目当てで、およそ戦略に値する内容ではなかったということだ。ただ、閣議決定の見送りによって、エネルギー不足が日本没落に拍車をかける最悪の事態だけは逃れたことになる。