オレって 古いかなぁ?


きのうまでの早春の陽気が一転真冬に逆戻り。とはいえ、もうそこまで来ている「春」含みの「真冬」で、真冬に感じる「真冬」と異なり明るさのある「真冬」だ。


                                          

時折明るい日差しが漏れてくる空から断続的に雪が降っては消える。枯野の景色が変わってしまうほど吹き飛んでくる雪も文字通り「春の淡雪」。たちまち溶けてしまう。山茶花の花弁に舞い落ちた雪もカメラにおさめようともたもたしているとすぐ消えてしまう。庭のクロッカスは終日、花が開くこともなく休業中だ。


いつものウォーキングメンバーのひとりが、家族連れできのうからフィリピンでスキューバダイビングだ。残りのメンバーは雪中行軍。なんたる、この格差。



40年籍を置いた会社には出身校ごとの同窓会的な親睦会があり、年1回新入社員からリタイヤーしたOBも含めて懇親会を開く。現役時代には毎年出席していた。リタイヤー後は出たり出なかったり。今年もその開催通知が来た。今年からはメールだ。返事もメールでよこせとのことだ。毎日削除するメールが10通は下らない。つい、うっかり削除してしまった。そのままだ。


評論家であり、ノンフィクション作家であった故草柳大蔵氏が生前何かの雑誌に掲載されていたエッセーを思い出した。戦後間もない頃のこと。雑誌社の編集員として某大臣の家に原稿をもらいに行った。応接間に通されソファに腰かけてタバコを吸って待っていた。奥さんから原稿を渡され、帰り際に「よその家を訪問して応接間に通された時には、そこの主人が姿を見せるまでは立ったままで待つものです。そのために壁に絵がかかっていたり、花瓶に花が生けてあるものです」と云われた。



「応接間のソファには主人が見えるまで座らないで待つ」氏はこの教えを30年守り続け、数々の人物・芸術・世相など幅広い評論活動をされた。この教えにこそ今の自分がある。それだけではなく、人物評価の物差しになっていたと結んでおられれる。


効率第一、時間が貴重の昨今、会社では会議の招集や出張報告はメールでやっているとか聞く。わが母校の後輩諸君、同窓会の開催通知、現役の連中はメールでよかろう。せめて、OBには従来通り手紙なり往復葉書で出したらどうだろう。草柳大蔵氏の教えとは次元が違うかもしれないが、その心は同じだ。ビジネスマン以前に常識人たれ。 オレって、古いかなぁ?