救急車来たらハザード待避


青空に乾いた空気、心地よい五月の風。草木の緑のなか、刈り入れの近づいた麦の穂が黄金色に輝いて見える。これを麦秋(ばくしゅう)と表現すると、何だか高尚な風景に見えてくる。農家の人にとってはそれどころではないだろう。麦秋と田植を同時に迎えたから。いや、意外とそうでもないかもしれない。機械がやってくれる。そうでなければ、外部委託。どんなかたちであれ、三好丘の田園風景はかわらない。



そんな田園地帯から丘陵の尾根に向かう中腹にある舟ヶ峪池。すり鉢状の池の岸辺に風で寄せられた睡蓮の群生が今年も花盛りになった。周囲の林を写し出している水面は深緑だ。そこに、白い睡蓮が浮かび上がった風景は、とても三好丘のものとは思えない。深山幽谷の景色だ。



もう50年以上になるが、入社早々実習で電車の運転士と車掌を半年やった。電車を運転するときのことだ。夜間に踏み切りを通過するとき、踏切で停車している車のライトが目に入る。このライトが、踏切で停車しているものか、一旦停止して渡ろうとしているものか区別がつかない。                             


ひょっとすると、電車が走行しているのに車が突っ込んでくるかもしれない。そんなことが、心配になるのだ。夜間踏切を通過するたびにヒヤヒヤした記憶はいまだに忘れられない。昼間の場合は、周囲の景色がすべて目に入り、そんなことを考えている余裕もないが、夜間の場合は暗闇の中で車のライトだけがかなり遠くから目につくからだ。




先日ラジオを聞いていて、半世紀前クマさんがヒヤヒヤした思いをしたように、今の救急車の運転手さんが同じような思いをされているのを知った。それは、救急車が警笛を鳴らして走行して行くと、ほとんど走行中のドライバーは待避してくれる。                                               

救急車の運転手さんは、路側で待避してくれた車か、駐車していた車が走行車線に出ようとしているか判別できないから、ものすごく緊張感を強いられると云う。救急車の運転業務をしているそのラジオのリスナーは救急車の通過で待避した車がすべてハザードランプを点滅してくれたら、業務が安全に遂行できると協力を呼び掛けていた。



クマさんの電車の夜間運転中のヒヤヒヤと救急車の運転手さんのヒヤヒヤとは次元の違うものだ。前者は個人の感覚の問題。後者は万人が認めることだと思う。高速道路で渋滞になって停車する時は今では100%に近い車がハザードランプを点滅させる。どこの機関のどこを押せば「救急車、ハザード待避」が励行されるようになるのかわからないが、まずはできる人からやってゆくことだろう。