安楽死を考える

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電車通勤していた当時は、6月になると学生・生徒や駅員・警官の制服の衣替えで季節の移ろいを実感したものだった。今では、きのきょうのような蒸し暑さだけが季節の移ろいを感じる唯一のセンサーになってしまった感がする。メディアを賑わしている”引きこもり”はこんな面でも大なり小なり影響が及んでいるだろう。

 

きのうのラジオ深夜便が6月4日の誕生日の花はスイレンと伝えていた。毎年この時期になると近くの舟ヶ峪池の睡蓮を日記にアップするが、昨年の豪雨で池の周囲でがけ崩れがあり、今年は例年の1割ほどしか咲いていない。昨年、一昨年撮ったものをアップ。

 

先日のウォーキングでこの舟ヶ峪池の一角を通った際、メンバーの中で蓮と睡蓮の区別がつかいない。そんな話に及び、蓮は、葉や花が水面から立ち上がるが、睡蓮は、見ての通り葉も花も水面に浮かんだまま。とクマさんは知ったかぶり。

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先だっての日曜のテレビ、NHKスペッシャルで日本人女性がスイスで安楽死するまでのドキュメント番組があった。大変考えさせられた。

 

彼女は3年前に、体の機能が失われる神経難病と診断された。歩行や会話が困難となり、医師からは「やがて胃瘻(いろう)と人工呼吸器が必要になる」と宣告される。安楽死は日本では認められていない。そんな中で、民間の安楽死団体が、海外からも希望者を受け入れているスイスで安楽死することを希望する日本人が既に6人登録している事を知る。その後、「人生の終わりは、意思を伝えられるうちに、自らの意思で決めたい」と、スイスの安楽死団体に登録した。

 

安楽死に至るまでの日々、葛藤し続けたのが家族だ。自殺未遂を繰り返す本人から、「安楽死が唯一の希望の光」だと聞かされた家族は、「このままでは最も不幸な最期になる」と考え、自問自答しながら選択に寄り添わざるを得なくなった。そして、生と死を巡る対話を続け、スイスでの最期の瞬間に立ち会った。

 

延命治療の技術が進歩し、納得のいく最期をどう迎えるかが本人と家族に突きつけられる時代。海外での日本人の安楽死は何を問いかけるのかを見つめる。番組では、並行して彼女と同世代の女性が延命治療を受けながら懸命に生き続ける姿を追っているから、見る側にはその対照的な生き様模様で余計に複雑な心境にならざるを得ない。

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4年前オランダへ旅行した時、現地の日本人ガイドの話が脳裡に鮮明に残っている。オランダは「安楽死・売春・麻薬」が公認に国だ。その理由は、それぞれの文化・国民性の異なった多くの移民を受け入れて一つだけのルールで縛るよりは一定限度の自由を認め、自由な一方で自己責任で行動しなくてはならない国にした方が国是に沿っている。ということだ。

 

スイスやオランダとは歴史・文化・国民性の異なる日本で、彼女が「自分で死を選ぶことは、どうやって生きることである」これが私の願い。そして、私の選んだ道が日本で死のあり方を考えるきっかけになればと公開を決めた。と。彼女の志の高さに敬意を表したい。彼女に寄り添って支えた二人の姉にも同様に。

 

翻って、現実はどうだろう。病状、経済状況、家族の考え方のケースバイケースだろうが、彼女のような生き様は彼女のいうように「死のあり方を考える」モデルケースのひとつ。現状では、胃ろうや人工呼吸といった積極的な延命治療はいらん。あるがままにしておいてくれというのが、大勢の考えでないだろうか。