天安門事件30周年に思う

f:id:mikawakinta63:20190607173531j:plain
f:id:mikawakinta63:20190607173554j:plain

朝、ウォーキングに出かけようとしていたら雨でドタキャン。きのうの夏日から一転、きょう「梅雨入り」。思い起こせば、そんな兆しがきのうからあった。カミさんが友達と梅の実を採って来て洗っていた。「梅雨」の語源のひとつに梅の実が熟す頃であることからという説があるのだ。                          

 

また、近所の栗林では花が満開、散り始めている。「墜栗花(ついり)」と言って 栗の花が散る頃になると梅雨に入るということから、栗の花を梅雨入りの目安とすることがあったようだ。気象上の条件も周囲の環境の条件も整った梅雨入りだ。

 

おととい毎年恒例の健康診断を受けた。胃がん検診は胃カメラが喉からにせよ鼻からにせよ苦手なのでバリューム検査で続けている。今年の検査ではかつてない変化が生じた。バリュームを飲みこむとき「誤嚥(ごえん)」で検査液が肺に入ってしまった。オペレーターの声が聞き取れにくく、スムーズに体が動かない。やっとの思いで、検査がすんだ。

 

検査が終わって、肺に検査液が入った状態の画像が先生のデスクに転送され、来年からはバリューム検査は無理。胃カメラで受診するよう宣告された。日常生活の中で多岐にわたって、加齢による「老い」をじわじわと自覚してきた。ところが、今回の検査ではそうした自覚の範ちゅうになかったところからの突然の宣告で、「老い」がまた前進。大きなショックだった。

f:id:mikawakinta63:20190607083537j:plain
f:id:mikawakinta63:20190607083554j:plain
f:id:mikawakinta63:20190607083516j:plain

きのう6月6日の誕生日の花はネジバナラジオ深夜便が伝えていた。2.3年前までは、今頃から7月中旬頃まで明るい草地などでよく見かけた。小さなピンク色の花が20個以上らせん状について咲く。なぜねじれるのか? 花がみな一方向に向けば茎が傾くので、花の方で工夫して わざとねじるように花をつけるようになった。とは「季節の花めぐり」での先生の話。蘭科ネジバナ

f:id:mikawakinta63:20190607194059j:plain
f:id:mikawakinta63:20190607194118j:plain

 中国で民主化運動が武力弾圧された天安門事件から4日で30年が経った。あるビジネスマンが北京でカバンをなくし、警察に出向いた。やがて連絡が入る。「あなたはこの店ではカバンを抱えていたが、次のビルの前では持っていない。この間に置き忘れたのだろう」。感心するやら恐ろしささえ感じたという。

 

ことほどさように、中国国内に張り巡らされた監視カメラは2億台にのぼるという。これらのカメラを結んでつないだネットワークが国民の一挙手一投足を見ているという。4日付けの日経デジタル版のコラムがそんなことを伝えていた。

 

今週各メディアから報じられた中国情報は、30年という節目の年に加え、米国との貿易対立が体制批判に転じることを案じているのか、同事件犠牲者の遺族や活動家らへの監視を例年以上に強めているようだ。

 

あえて「たら、れば」が許されるならば、30年前中国の指導部が若者たちの声を受け止めていたら、歴史はどう変わっていただろうか。一党独裁と国家資本主義で成し遂げた、今のような経済の躍進はなかっただろう。その代わりもっと付き合いやすい隣国になっていただろう。冒頭のビジネスマンもなくしたカバンを探すのに手間がかかっただろうが。