うまくやってゆく能力


ことしの梅雨はONとOFFがはっきりしている梅雨のように思える。先週の金・土が晴れでOFF,日曜が雨でON,月が晴れOFF,きょう火は雨ON.きょうの雨の降り出す前のウォーキング。丘陵地の荒れ地に梅雨時に不似合いなコスモスが咲いているのではないか。「秋桜」なんて言う字をあてるから、余計にこの時季に咲いていると違和感がある。


こんな雨降りには、麻雀のメンバーは嬉々としている。心置きなく熱中できるからだ。ご近所さんの同年代メンバー10人余りが入れ替わり立ち代りでほとんど毎日だ。かれこれ2年くらいになるが、何のトラブルもなく和気あいあいでやっている。われわれの年代は物差しの違う他人と「うまくやってゆく」能力が人生のさまざまの場面で培われてきたのではないだろうか。かつての肩書が第2の人生では何の役にも立たないことを誰もが心得ている。対等の立場で対話し、譲歩や妥協の技術を身につけている。みんな、”おとな”なのだ。


先日テレビでチラッと見た。家族以外の人と生活空間の一部を共有する雑居型の集合住宅を選ぶ若者が年々増えていると紹介されていた。子育て中の家族、単身者、高齢者がひとつの食堂を使ったりするところを紹介していた。「うまくやってゆく」能力の劣る若者たち故に大小のトラブルは必ず起こる。どういう若者たちがあえて煩わしさを求めて雑居を選ぶのだろうか?                 


われわれの子供のころには、夕涼みの縁台で、登校前の焚火を囲んで、銭湯で大人から良いことも、悪いことも色々と教えられた。雑居型集合住宅は昔の縁台や焚火や銭湯の機能を持っているかもしれない。